9/26 子供が成長していく環境
今日は地元の友好団のサッカー交流大会にチーム帯同してきました。
天気予報では何とか雨は回避できるか降られても大したことはないやろうと想定していましたが、途中からかなりしっかりと降られて寒い寒い。会場の周囲を見ると栗の木のイガも割れて深まりつつある秋を感じました。
今日のテーマにはあまり関係ないですが、今朝は家の中でも秋を感じました。
コーヒーの木の葉っぱが4枚落ちていました。
最近急に寒くなり始めてから、コーヒーの木にも落葉が見られるようになってきていて、昨日は木を揺らしたり、落ちそうな葉はないか軽く引っ張ったりしてチェックしていたのに、今朝4枚も葉が落ちていたことにちょっとビックリ。秋やなあと。
話が逸れたので戻します。(^^;)
地域のサッカーのリーグ戦や、今回のような地元の交流大会に行くと、私が関わっていたサッカースクールの子たちが、いろんなチームに入って活躍しているシーンに出会います。子どもたちの成長した姿を見ると彼らに関われた者として、やはりちょっと嬉しいものです。
それに加えて、今日は嬉しいシーンに出会えたので、今日はそれを書こうと思います。
とあるスクール生のお父さんが、主審で登場されたんです。
今の小学生のサッカーの試合は、一人審判で試合を進めます。主審が万が一何かで試合を看れなくなった場合や、両チームのベンチの様子や選手交代などの状況を監視する役割で『補助審判』というのを一人配置することになっていて、私はその補助審判を務めました。
私はそのお父さん審判がまだ主審としては初々しい感じもしたので、どんなレフェリングをされるのかも興味を持って補助審判席で観ていました。
率直な感想は、『カッコイイな。』
何がかっこよかったかと言うと、“姿勢”です。
その試合に主審としてどんな姿勢や態度で臨むのか?
そのお父さん主審の方は、一生懸命走って、できるだけ適正な位置でジャッジをされていました。笛の強さやファウルと判断したことへの態度や立ち姿もとても毅然としたものを感じたんです。多少のミスジャッジはあったように見えましたが、堂々としたレフェリングの様に、『カッコイイ』と思ったのです。
主審としてやるべきことに全力で一生懸命なところがそう思わせたんですね。
小学生年代の審判が一人審判制に移行してからは、審判へのなり手がめっちゃ少なくなってきています。今までは主審と2人の線審の3人で試合を看ていて、私もそうでしたがお父さん審判は先ず、審判としては責任の少ない線審から入っていくというのが通常でした。それに対して今は審判資格取得への敷居が高いんです。それでも今日のこのお父さん審判はそのカベを乗り越えて立派に主審をされていた。そこが私にはかっこよかったのです。
このお父さんをかっこいいと思うのと同時に思ったのは、お子さんはきっといい人生を歩むだろうということ。
だって、このかっこいいお父さんの背中を観て育っていけるんだから。
先ずは大人が“グッドスタンダード”で生きること。
これがとても大事で、大人が常に挑戦し成長し続けることこそが子どもたちが成長していく環境を作っていくのだと、改めてそう思いました。
落ち葉は自らの葉の栄養を土に託して、その木の成長を助けます。
そんな生き方がなんかちょっとカッコよくないですか?
おお、ちゃんと落ちが付いた。w
おしまい。(^^)/