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教育は結構なものである。しかしいつも忘れてはならない。知る値打のあるものは、すべて教えられないものだということを。
ノリノリ度 : (-_-)
ラッキーカラー: 黒
ラッキーホウイ: 北
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“知る値打ち”なるものを教育する側が持っているとするならば、その値打ちは教える側の値打ちでしかないですもんね。だとしたらあまり教えすぎると、教えられた側はどうなるのか?教える側でも教えられる側でもここをイメージして諸々の場面に対峙していきたいなと思います。
私は少年サッカーや忍者活動などで子どもたちに接する機会があります。この際には特にここを意識してそれに臨むようにしています。
値打ちとはその本人自身が決めるもの。
そこに影響を与える者として、どんな接し方がいいのだろうか?
この質問はずっと私について回ってます。恐らくずっと答えはないようにも思いますが、少しでもいいなと思えるアプローチでいたいと考えて、自分なりにいろんな学びをしてきたつもりです。あくまで“つもり”だし、“自分なり”ですが。(^_^;)
値打ちそのものを与えることはNGです。
それは単なる押し付けでしかないと思います。
値打ちかもしれないものを、値打ちかもしれないもののヒントを、誘導性をできるだけなくして提供していく。子供たちの成長段階によってもその内容は変わりますが、私が一番多く使っているものは“しつもん”です。
どうなりたいの?
だったらどうする?
これがベースになっています。
自分の中にあるものを、自らが見つけていく。
“値打ち”なものも自分の中にしかない。
そこは誰にも侵されないし、それを侵してはならない。
大事なスタンスではないでしょうか?
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(勝家徹二)
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取り入れる意識をもって。
これは素直な心でいようってことかな。
そんな心で受け入れて改善につなげる日。
頑張っていこうっと。
皆さん、今日も元気に!!
おしまい。(^^)/