2021.07.27㈫ 生命の力を考える-2
昨日のスパゲン食堂-庄川と、夕空(自宅前)
本題。
《健康で元気。医者は患者ゼロで廃業になる事を目指すべし。〝人は自然の一部である〟》こんなワードに触発され参加した上映&講演会、ブログ(☟)でそのことを書き始めておりますが、今朝はその中から特にこれだなというのを取り出して書いてみます。
見えてる命は一つだけど、命はずっと繋がっている(真弓先生ご自身の臨死体験からの実感)
命は繋がっている。
確かに命そのものは一つしかなく、その命だけが私たちには実感として見えたり感じたりできるもの。
人も必ず“死”を迎え、一つの命を終わらせます。
けれども、その命に宿っているものは、伝統や文化、DNAや遺伝子などで脈々とつながってきて今があり、これからも脈々と繋がっていく。
ふと思った。
親父やお袋は偉大だなと。
親父は人を喜ばせたり楽しませたり応援することが好きな、厳しい中にもちょっとおちゃめなところがあった。山によく連れてってくれて、山菜やキノコ採りなんかも教えてくれた。何だろう、“自然人”、“あるがままな人”というのがぴったりくる。
お袋は手先が器用で、90になる今も健在でモノづくりをして、それを展示会に出したり人にあげたりしている。なんでも持ってけ持ってけと与えてくれる人だ。“気遣いの人”というのがなんとなくぴったりくる。
命は繋がる。
だとすれば、自分はどんな命を繋げていくのか?
親父やお袋の偉大なところをちゃんと持ってるか?
命を懸けて後世に残し繋げていくものは何なのか?
それは自分の生き様で示し残していくもの。
今という一瞬を、今日と言う一日を、一生懸命、全力で、楽しんで生きる。
それがきっと命を燃やし輝かせるのではないかな。
それがきっと命の力になる。
おしまい。(^^)/
シリーズはまだ続く。